福岡の山の小さな村のお話

kazumi-amitie2005-08-05

母が8人兄弟、父が7人兄弟、私のいとこは40人以上いる。お正月やお盆にしか九州に帰らなかったから親戚の名前や顔などあまりわかっていない。でも今日は博多で親戚の集まり会があり、叔父から母たちの小さい頃の話をたくさん聞いた。

夏の夜は畑の中に蚊帳付きベッドをつくり寝泊まりして、キツネからスイカを守るのが子供の仕事だったこと。真っ暗な闇の中にキツネの目だけがギロッと光って竹鉄砲などで戦わなければならない。飼い犬のシェパード「あだろう」は吠えるけど、その前をキツネはしっぽでごろごろと家族のところまでスイカを運びみんなでしっぽで割ったりして食べるらしい。シェパード負けてるやん!
今の時代じゃ夜通し子供が外で見張りをするなんて考えられないなー。現在ここは巨峰園。

戦後で食料がない時代なので鶏や兎を自分たちで絞め食べていたこと。ひなどりも罠を作って捕まえる。首をひねって絞めるなんて、申し訳ないけど私にはできない。食べさせてもらってるから本当は自分でして命のありがたさを知らなければならないのだろうけど、たぶんできない卑怯者。食料がなくなれば私でもするのかなー。山の狩猟生活。

朝になると放し飼いの鶏の卵を探しまわってとってくること。大変な作業だったらしけどフェンスにいれたら餌をあげなきゃならないから放し飼いだったらしい。そうすると鶏は自分でみみずやいろんなものを探して食べてくる。これはとても納得。

叔父が真っ暗になるまで友達たちと必死で釣った「なまず」を大事に家に持って帰って宝物にしていたら、翌朝姉である私の母がお味噌汁にその「なまず」をいれていたこと。たんぱく源を取ろうと必死だったらしいけど、叔父は宝物がお味噌汁に入っていてみんなが食べているのを見てかなり落ち込んだらしい。そら、そうだ!


おじいちゃんは70才を過ぎてもおばあちゃんの膝まくらで毎朝髭を剃ってもらっていたらしい。洗面器にお湯を張ってシャボンを泡立てて・・・180cmを超える大男のおじいちゃんからは想像もできないとてもとてもいい話。