近江八景

「近江八景は100年かかって決められたんですわー。」
と、佐川スポーツフェスティバルの帰りにタクシーの運転手さんが教えてくれた。
「応仁の乱の時に京都のえらいお坊さんが近江に避難してきましてなー、中国の【なんとか湖】の【なんとか八景】を憧れにしてる文化がこっちに流れてきて、琵琶湖でも八景を決めよういうことで、100年かかって【ごようせ天皇】が決定したんですわー。」
おもしろい話だったけど【なんとか】がまったく思い出せないので調べてみる。


【なんとか】は中国の「洞庭湖」の「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」
詩文や水墨画の題材になっているところ。
室町後期に「瀟湘八景」への憧れから、江戸初頭に「近江八景」を確立したらしい。


瀟湘八景 → 近江八景

江天暮雪(こうてんぼせつ)→ 比良の暮雪(ひらのぼせつ)
平沙落雁(へいさらくがん)→ 堅田の落雁(かたたのらくがん)
瀟湘夜雨(しょうしょうやう)→ 唐崎の夜雨(からさきのやう)
煙寺晩鐘(えんじばんしょう)→ 三井の晩鐘(みいのばんしょう)
遠浦帰帆(えんぽきはん)→ 矢橋の帰帆(やばせのきはん)
山市晴嵐(さんしせいらん)→ 粟津の晴嵐(あわづのせいらん)
漁村夕照(ぎょそんせきしょう)→ 瀬田の夕照(せたのせきしょう)
洞庭秋月(どうていしゅうげつ)→ 石山の秋月(いしやまのしゅうげつ)


100年かけて八景選出。よほど中国のこの文化に憧れていたんだなぁ〜。
やっぱり今の時代は時間の流れが早すぎる!