京都芸大音楽学部

kazumi-amitie2007-03-01

「おい、和男!どこにおんねん」「木馬におるよ」「おぅ、今から行くから!」と、どやどや京都芸大の先輩方がやって来た。きょうは声楽の井上和世先生の受賞パーティが神戸であったので、その帰り。
電話はくれるけどぜんぜん会えないテノールの兄さん、アップライトピアノを「一生返してくれるな」とくれたはずなのに息子ができて「ピアノ返してくれ」と言ってきたバリトンの大さん、十何年ぶりに会うテノールのケンゾーさん、同級生のピアノ科で中国の音大にピアノを教えに行っていた田村くん。
兄さんと大さんは、井上先生のおうちでもある再度山大龍寺敷地内にある釜風呂旅館(国定公園なので壊せなくて残していた廃旅館)で「和男」と呼ばれながら一緒に住んでいた元同居人。山奥の一軒寺、山道は暴走族だらけ、本堂から離れたお墓と谷底の横、使われていない暗い部屋が何部屋もあるような「女は絶対住めない」と言い切られていた旅館に私も1年間一緒に住んでいた(私以外は全員男)。風呂当番とか月決めであって、帰りが遅くなるときは誰かに頼まねばならない。1階の電気を消灯するときはどれだけ怖かったことか。
一度急に真っ暗闇になり、急に壊れてる壁時計が鳴り、使われていない巨大な台所でお皿が割れ、ガタガタと扉が鳴り、怖くて受話器をとってかけようとすると電話もかからず怖い思いをしたが、この人たちが大芝居をうって昼間から仕込んでいたのだった。あとで見るとビニールの中でお皿は割れてるし、電話のモジュラージャックは抜かれてるし、見つけると幽霊のふりをするし、芸が細かい。ヒマだったんだなぁ〜。
みんなヨーロッパに行きたくてピアノを置けるようなマンションの家賃を払えなくてここに住ませてもらっていた貧しい声楽家たち。山奥なので音はさんざん出せる。兄さんはその後イタリアへ、同じく一緒に住んでた若さんはドイツのハンブルグへ(今もドイツ在)、私はフランスへ。
でも究極のビンボー生活で、冬になると、山奥なので水道管は止まる。本堂まで水を組みに行き、兄さんの部屋だけにポットがありお茶が飲めるのでたまり場になっていた。みんなボロボロの車に乗り暴走族と戦いながら帰る。お寺の門の前でタムロしてる暴走族たちにどいてもらわないと入れなかったので、私は女とバレてはこわいから帽子を深々とかぶり、ロックを確認して、車のクラクションを鳴らし続けて山門を入っていってた。帰ると彼らが賽銭泥棒を捕まえていたこともあったなぁ。
「こんなビンボーは嫌だ」と大さんは塾の先生に転身。一人だけお金をガッポガッポ稼ぎ、玄関に100万円だったか札を積み上げ【さわるべからず】と書いて私たちに見せびらかしていた。「お前ら、こんな積み上げられた金、見たことないだろうと思ってさ」。
この頃の話はおもしろすぎてキリがない。
きょうは先輩である佐渡さんも同じパーティのあと木馬に来られていたので、芸大近くのラーメン屋さんや、下宿屋、ウィーンの話など一緒にお話してもらって記念撮影。先輩,後輩軍団です。京都芸大音楽学部は1学年60人というとても小さい大学なので、家族のようにやたら仲良し。みんな佐渡先輩にゴチソーになってました。
「和男、アホか、ボケ!(パシッ!)」と頭を叩かれることなど最近ないぞー!ちょっとはやさしくしろ〜〜っ!!