マシュケナダ

三宮のジュンク堂に行くと改装されて配置がかわり、目的の本を探すのに手間取った。でもそのうろうろしたのがきっかけで普段見ないJ-POPのコーナーにあった宮川泰先生の本を発見!
『若いってすばらしい 夢は両手にいっぱい宮川泰の音楽物語』。
おおおお〜!宮川先生ってJ-POPのコーナーなのか!読みながら歩いて帰る。
私は『日曜はピアノ気分』という読売テレビの番組で5年間お世話になった。とにかくゲスト歌手よりスタッフ、バンドのメンバーに気を配る方だった。NGが出てだんだんと場の空気が重たくなってくると、自らギャグを言い、ピアノに頭を打ち付け、床に転げ落ち、みんなを笑わせて空気が良くなったところでもう一度収録する。NGが出た途端その曲を演歌調にアレンジして弾いて笑わせ、またピアノの椅子から床に転げ落ちる。大先生がここまでしなくていいのに・・・と思わせるくらい身体を張った収録の空気の作り方だった。
本には大阪から東京までタクシーで帰ってしまったエピソードや、ナイトクラブでのショーの話、戦争の話、アコーディオンとの出会いの話なんかも載っていた。そしてなんと宮川先生は京都芸大美術科に1年在籍していたらしい!(これはまったく初耳)。
宇宙戦艦ヤマトのソプラノヴォーカリーズを宮川先生のレッスン付きで歌ったことがあったが、あれは強烈にうれしかったなぁ〜。新地のバーやお寿司屋、ふぐ料理屋にもよく連れて行ってもらった。私みたいな若僧の話でもびっくりするくらいよく聞いてくれて、コメントしてくれたり、感心してくれたり、アドバイスしてくれたりした。
銀座のスウィングシティーだったかな?名匠宮川組のライブがあった時、スカーフしてハンドバックを持ってきれいに着飾った女性とエスコートしてる男性のカップルがたくさん見にこられていて、先生も燕尾に蝶ネクタイで、エンターティナーっぷりを求められていた時代のとてもいいライブを体験したことがある。いまのライブはTシャツとジーンズでできてしまうくらい軽いし簡単にできるから、こんなのにはなかなか出会えない。
私の父は、漫才ブームの時に若手漫才師が軽い格好で漫才をしてることを非常に嫌がっていた。その点やすしきよしはしっかりとスーツを着て漫才するから良い、と言ってた。ちょっと反省、きっちりしよっと。
今でもマシュケナダやシング・シング・シングなんかがかかるとすぐに宮川先生を思い出す。
あーっ!今、気付いた!おととい宮川先生の一周忌だった!