大災害

インターナショナルスクールで全編・英語の童謡サロンというので大盛り上がりして、木馬に帰ったらニュースが流れた。妹とはすぐに連絡とれたが、両親とは晩遅くになるまでつながらなかった。父は池袋から練馬の家までまだ歩いている、と夜中に母から聞いた。
何かできないのか。とりあえず神戸の震災復興センターの友人に電話をして、何か手伝えることがあったら言ってくださいと伝えたら、動きがあれば連絡すると言ってくれた。神戸の被災地NGO恊働センターのメンバーは何の支援が必要かの調査で今晩北陸道・山形経由で仙台に入るらしい。あたたかいものが飲めて申し訳ない。温暖な神戸ですら寒さをしのぐためにスキーウェアを着ていたのに、東北で氷点下に近い晩に暖房もなく、毛布とか送れないのか。トイレットペーパーとかおむつとか送る手段はないのでしょうか。まだそれどころではないのは重々承知しているのですが。生活必需品を送る手段はないでしょうか。でもまだそれどころではないだろうことがとても痛い。