ファミレドシドレミファ

NHKカルチャー童謡サロン。『森の水車』の「コトコトコットンコトコトコットン ファミレドしドレミファ〜♪」をすると、お洒落な80代の方2名が、揃って戦後のお話をしてくださった。
なんと戦時中は「ドレミファソラシド」という音名は禁止されていたらしい。
戦前「ドレミファソラシド」
戦中「ハニホヘトイロハ」
戦争後半「CDEFGAHC(ドイツ読み)」
終戦後「ドレミファソラシド」
この曲は昭和17年発売されて戦争中は流れなくて、戦後この曲が復活した時は「ファミレドシドレミファ」が言えてすごい開放感があったのだとか。
お一人は戦争中東京の女学校で、先生が和音を弾いて答える音感訓練がすごくたくさんあったのだけど、それはB29の音だとか他の戦闘機の音だとか聞き分ける訓練だったとか。
もうお一人は神戸の女学校で戦後すぐにアメリカ国歌を学校で覚えさせられて神戸にいる進駐軍に学校から披露に行ったのだとか。
「だからこの曲はすごいエネルギーを持った時代の復興の歌なのよ」とおっしゃってました。