じゃがいも

戦前生まれの木馬の常連さんから、第二次世界大戦の頃の神戸の話をたっぷり聞いた。
小学校単位で集団疎開で岡山にいた話。
神戸は川崎重工や神戸製鋼があったので破壊され、家も燃えて、神戸に残っていた両親は苦労のあまり急に年老いた風貌になり、疎開が終わって母親が迎えに来てくれたのに母とわからず手を引かれ、家もなくなって違う家に行ったのでどこに連れていかれたのだろうと思ってたら、家に入ると父親がいたので、やっぱり母だったとわかったという話。
母と会えるのがうれしかったはずなのに知らないおばちゃんやと思ってしまったという後悔。
神戸は長田や兵庫など西地区が焼かれ、私の住んでる青谷あたりからB29が雲のように連なってやってきてた話。
配給だけでは食べていけない。不正は絶対にするなと須磨在住の検事が身をもって餓死された話。
要するに国は国民の命も財産も守ってなんかくれやしないんだという話。
配給のじゃがいもは紫色の石ころみたいでどうにもこうにも食べられなかった話。
リンカーンの伝記を読んで同じ石ころのようなじゃがいもの話が載ってて涙を流したという話。
高校上がるまでは日々どうやって食べるものを確保しようかと思ってたので絵なんてさっぱり描けなかった話。
これは戦争体験じゃない、敗戦体験だ、と。