表現の自由 part.2

パリ在住の友人とはテロ以来ずっとViberでチャット状態で会話してるのですけど、(ちなみに友人は日本人女性。彼はパリ生まれのパリ育ちのイギリス人とフランス人のハーフ)マスターの持論を聞きながら私が代弁してチャットで送ってるのを、ここに書きます。

私(マスターの代弁):(いきなりですが)

日本は剣道、柔道というのがあるが、剣道でも急所はつかない。
剣道では、まず「小手(こて)」。手を狙い剣をおとす。
そして面、突き、胴。剣を逆さにして相手に傷をつけず、闘う技法もある。
(訳すのむずかしいでしょ、笑)

 

友人:訳すことは考えずまず聞こう…。

 

(マスターの代弁)

まず、小手で剣が手からはずれたら相手は頭を下げて「参った」と言う。これが「小手1本」急所となる部分にまで到達しないで勝負を決めようとするのが日本文化。
日本文化というより日本の武士道。

 

友人:ふむふむ、彼の子供時代の愛読書、”武士道”とかいう本だったから、これは理解しそう。

 

私(マスターの代弁):
剣を逆さにして相手に傷をつけず、闘う技法
これは刀を抜いた時の真剣勝負。刀を持っているけれど剣を逆さにして殺しはしない。
これを「峰打ち」と言う。

武士道には「我慢の精神」がいる。
自分の死によって世界を変えるのが切腹。
イスラムの過激派がやってる自爆テロは自分も死ぬけれども、周りも死ぬ。
心に傷を追わせるのは、相手に重傷を追わせるくらいの重みがある。
だから言葉には気をつけなければならない。


友人: 自爆テロは”カミカゼ”やもんね。

 

私 : あ、マスターがこの言葉にうなってる、、、あれは狂気の沙汰だったんだろうね...と。

友人: こちらの報道で自爆テロを”カミカゼ”と伝えてた記憶が。

私: うーん、、、そうとらえられるやろうね、、、と言ってます

 

私(マスターの代弁): ちなみに柔道は、「柔を以って剛を制す」
カミカゼや自爆テロは究極に負けてるものにしかできない。
フランスは強国だからいざ完全に負かそうと思ったら負かせることができるでしょう。だから大国(強国)は「表現の自由」と声高に言う前に、もっとおおらかに余裕を持たなければならない。

 

友人: ふむふむ

 

私(マスターの代弁): でも俺はフランス好きだよ。
でももっと相手の立場も考え、余裕を持ってもらいたい。

 

友人: ふふふ

 

私(マスターの代弁): 歴史の浅いアメリカがこんなことするならわかるよ。
でもフランスは、、、好きだからね〜
(これ、文章になってないやん、笑)

 

私: あ、煙草吸いに行きました。終わりかも(笑)

 

というわけで、マスターの持論の部分だけ取り上げました。
帰ってきて、鴨長明「方丈記」の話が出て、
「この世は諸行無常。
このようなことはこれからも起こるだろう。
今までも大きな戦争があり、相手を逆なでしてきた。
一歩身をひいて物事を静思する。
この精神を日本もフランスも世界各国持たねばならない」と言ってました。

 

これはあくまで武士道(どうみても浪人にしか見えない)を持つ日本男性の一意見であります。