志賀島

さてさて志賀島。
旅座でみなさんをお連れしたときにいろいろと説明したいけれども、私のつたない知識では説明しきれないと思って、志賀島歴史研究会の2人に来ていただきました。

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志賀島歴史研究会のHPより〜

いにしえより志賀島は海上交通・大陸交易の要衝地で、古代海人阿曇族の本拠地とも言われ、海神ノ総本山・龍ノ都と称えられ海の守護神として篤く信仰されている「志賀海神社」が鎮座しています。さらに、海神である綿津見命を祀る海の氏族で大陸とも交流があったとされる「阿曇族」の発祥の地でもあります。
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神功皇后の三韓出兵の時のお話がたくさん残っていて、地名にも由来が見えます。
阿曇磯良を海国から召し出そうと7日7晩神楽を奏した舞能ヶ浜、願いがかなったと仰せられたところが叶ヶ浜、皇后が馬から下りられたところが下馬ヶ浜、志賀大明神に奉賽した際に馬が喜びいなないたので勝馬。
この島が沖津宮(おきつぐう)。


勝馬(島の北端)には表津宮(うわつぐう)・仲津宮(なかつぐう)・沖津宮の3宮があります。うち表津宮が遷宮されて現在の志賀海神社となり、仲津宮・沖津宮は現在は摂社になっています。沖津宮は潮が引いた時にしか渡れません。

現在の志賀海神社で、ご祈祷していただいて、奉納歌唱をみんなでしました。
この遥拝所は東を向いているそうです。

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下の海岸では、毎朝禊をするところもありました。

境内の鹿角堂(ろっかくどう)では、1万本以上ともいわれる多くの鹿の角が奉納されています。すごい迫力でカメラを向けることができません。。。神功皇后が対馬で鹿狩りをされた折に奉納したのが起源で、以降、祈願成就の際に納められてきたものらしい。

志賀島歴史研究会の方に、「あずみ族がつなぐ福岡と安曇野」という冊子をいただきました。志賀島の安曇族が安曇野に移り住んだといわれるお話で、小学生でもわかるように書かれていて、私向きです!
現在でも安曇野の穂高神社は毎年トラックで志賀島の砂を3トン運んでおられるそうですよ。
ディープ過ぎませんか。このあたりのお話。。。