記録

記録。
この前の投稿「初日」を書いてた12月21日夜中の2時頃に母から電話。
父が水が飲みたいと言っている、と。
病院から水も飲まないと聞いていたのになんでだろうと思いながら、慌ててマンションの上の階へ上がる。
本当に「水が欲しい」と言ってるので、水を差し出すとすごい勢いで飲んだ。途中で大丈夫かなと思ったが、本人がものすごく欲していたので水のカップを補助する。
痛みが強いので、24時間電話していいと言われていた訪問医療に電話をすると、痛み止めを飲ませてくださいと言われる。買ったばかりの服薬ゼリーで痛み止めを飲ませる。
痛そうで苦しそうでどうしようもしてあげられなくて、私もベッドに寝転がって後ろから身体をさする。こんなに苦しんでるのに早く楽にさせてあげられないのかと、日本の、いや他の国のことは知らないけど、生き続けないといけないことにちょっと疑問を持った。
母が看護師さんを呼んでくれと言うので、訪問看護ステーションに電話。すぐに来てくれ、いろんな対処をしてくれるが、夜明け前に旅立った。

看護師さんが聴音器で首で脈を診て確認。
母が手首を握って「脈がある、まだ大丈夫だ」というので私も確認したら脈があるように感じた。結局これは自分たちの脈が跳ね返っているだけだった。

看護師さんが訪問医療の先生に電話。真っ暗な時間に来て、確認。すぐに書類が作られる。上行結腸癌でした。
看護師さんが身体を拭いてくれて、頭も洗ってくれて、着てもらいたい服を選んでくださいと言われる。母がいろいろと出してきて、みんなでセレクト。「あなた、この服で閻魔さんの前に立っていいの?」と母が言っている。最後はマスターがネクタイを締めてくれる。

葬儀屋さんを選んでなかったけど、ほぼ身内の友人から聞いた葬儀屋さんに電話。時間はわからないが日の出あたりにストレッチャーが到着。

そしてそのまま、マスターと私も葬儀屋へ。
そのままいろんな説明を受けるが、まだ夜中担当のスタッフだけだったので、10時にもう一度打ち合わせ。コロナで火葬場は半分しか稼働していないから、すぐに葬儀はできないと説明を受ける。23日通夜、24日葬儀と日程決定。

22日、従姉のまゆみさんが手伝いに来てくれる。
母の手伝い、書類の探し物、引越しの片付けなど明るく百万馬力でしてくれる。父の遺影を選ぶ。まゆみさんが父が描いてた絵、能面を飾ったら?と提案してくれてハッとする。私はふだんこういう企画は得意なはずなのに、さっぱり頭が働いてなかった。慌てて絵を額縁を選んでセットする。

23日、通夜。埼玉の父の兄夫婦と息子さん、母の妹も神戸着。九州は大雪。私が選んだ骨壷が小さすぎて九州人にびっくりされる。どの九州人に聞いても小さい!と言われて、大きいのも追加することになった。そして灯りを絶やしてはいけないことなど全然知らず!!!従姉が医大生の息子くんと娘ちゃんと一緒に葬儀屋に泊まりこんで灯りの番をしてくれる。母と私は帰宅。

24日、心配していた雪もどうにか移動可能となり、佐賀から、博多から、北九州から、そしてマスターの姉妹家族と親族がたくさん、そして関東から両親の友人たちも来てくれる。従姉は元添乗員なので、食事から移動から仕切ってくれている。
母はさすがに疲れ切って体調も思わしくなく、母の姉(89才)が予定を変更して一晩一緒にいることに。従姉がポートピアホテルを取ってくれる。母がいない間に四十九日までの祭壇を作る。

25日、午前中にポートピアへ。話があるから部屋まで上がってきてと真剣に言われたので、マスターと車を駐車場へ入れて、いったい何の話だろうと心配してたら、九州に帰る前に木馬の珈琲が飲みたい、と叔母が言ってホッとする。開店前の木馬へ行って珈琲とトースト食べながら、叔母がいろいろと心身不良の解決法を提案してくれる。午後から木馬復帰。

26日、宝塚で歌のサロン。
27日、NHKカルチャー神戸教室。歌の仕事復帰。
29日、訪問看護の契約がまだだったので、訪問看護ステーションに契約に行く。契約前なのにあんなにしてくださって心から感謝。
31日、マスターは仕込みのため、木馬へ。私は父の書類など確認。病院探しの相談などをずっとしていた木馬のお向かいの帽子マキシンの女性社長さんから大きな胡蝶蘭が届く。


2022年1月の休みに、行きたい場所が決まらなくて、夜中に「神戸空港から一番安くいけるところ」を探したら長崎空港だったので、ノープランで長崎へ着。北原白秋記念館のある柳川へ何回も行ってるけど行ってみようかとレンタカーで向かってたら偶然、父の生まれ育った佐賀の高木瀬を通ったので、深川家を通り、深川の菩提寺にお参りしました。見事に吸い寄せられるように行ったのはこういう暗示だったのか、いやでも、深川のお墓参りを吸い込まれるようにしたので、もしかしたら来年まで持ってくれるのかもしれないとも思いましたが、お正月を迎えず、卯年の父は旅立ちました。年末に差し迫っていたので、喪中のはがきも何も出せないまま1月1日を迎えます。

今回、東京から父に付き添って神戸の病院まで来てくれたチャキチャキでパワフルな坂本さんや、従姉のまゆみさんというパワフルで明るい人がいてくれて、すごく助かりました。私も声聞いたらなんだか笑みがこぼれて元気になれるという人になろうとすごく思いました。

みなさま2023年、どうぞ明るい笑い声が出る年になりますように!!!