音楽のプレゼント

先週金曜日の淡路島江井小学校から1週間。夜12時前にメールを見て動揺した。これを企画してくれた上田さんのご葬儀が終わったとの報告メールだった。えっ?どういうこと???先週あんなお元気だったし間違いじゃないの???とても遅い時間とはわかっていながらメールをくれた江井町のかに料理屋のおかみさんに電話する。ここは学校公演前に上田さんに連れていってもらったところ。淡路は冬の間漁がなくなりその間かに料理屋をされていて、すっかり話し込んでしまったおかみさんからのメールだった。私がこのことを知らないかもしれないと思って小学生に私の名前を聞いてネットで検索して連絡をくれた。詳しくはおかみさんもわからないらしいが、今週始めに新聞受けの新聞がたまっているので町のどなたかが入ったら息を引き取られていたらしい。


上田さんとの出会いはNHKの神戸のわらべうた特集。募集したら山のように資料を持って来てくれた。上田さんに教えてもらって童謡サロンのレパートリーになっているものはいっぱいある。最近では必ずする「からすどこゆく」のじゃんけんも上田のおじいちゃんに教えてもらったものだ。その後資料を次々に木馬に持ってきてくれて()()それはそれは貴重な楽譜をたくさん預かっている。先週末の学校公演終わってお家に寄らせてもらったが、その日はマスターが40℃熱があったのと(倒れた日)次の日も本番だったので気分的にゆっくりすることができず、資料も出してきておいてくれたのに30分くらいしか見ずに、1時間に1本のバスに乗ってしまった。
「ゆっくり資料見て欲しかった」「お家わかったから、時間のあるときゆっくり来ます。きょうは急いでてごめんなさい。」「じゃ、金の杯があるから一杯だけお神酒を」「いや、いや。バスの時間あるし」「一杯だけ」「うーん、じゃ」と一杯口にしてお家を出ようとすると淡路のタコをくれた。その日の晩に川島さんに料理してもらったものだ。「バス停まで送りますよ。神戸にも寄るけど資料重たくて持っていかれへんし、やっぱりまた来て。」「はい、また来ます〜〜」とお別れして、1時間に1本のバスに乗り、発車しても手をふってくれていた。今週始めに新聞がたまってたって、ということは・・・もしかして帰ってからすぐだったのかも。違う日かもしれないが・・・。
「過疎化の激しい地域やから子供たちは普段コンサートなんて聞けない。学校は年間予算とか決まっててできないから、私が子供たちにコンサートをプレゼントしたいねん。いいもの聞かせてやってください。」と上田のおじいちゃんに言われ、近くの小学校4校集まって体育館で開催した。お家の資料をゆっくり見てもらうことを望んでくれていたのに、ゆっくりできなかった自分がいて、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
ところで貴重な資料を山のようにお借りしている。毎回返そうとしても「まだいいから持っておいて」と絶対受け取ってくれなかった。お子さんはおられなかったらしい。奥さんは震災のストレスで亡くなったとこの日に聞いた。お家の壁は震災で壊れたままだった。でも子供たちに音楽を聞かせてあげる行動は起こしていた。