ガソリン

kazumi-amitie2007-06-18

画家の中西勝さん、いつも「ガソリンくれ、ガソリン!」とウィスキーのお湯割りをご機嫌で飲む。
「日本語の【ない】は【No,Non,Nein・・・】と一緒や。「金がのう(no)なった」とも言うやろ。」「【なまえ】も【name】となんか似とる、【頭(とう)】は高いところにあるから【塔】で【トーテンポール】で【父ちゃん】や。全部高い。」「【soft】と【そっと】も似とるな。」と、83歳とは思えないとにかくやわらかい頭で延々とことばを考えてる。そしてきょうは世界情勢の話になり、戦争の話になった。相当酔っぱらうと「中西一等兵、ただいま帰還いたしました」と戦争体験の片鱗は見えるが、話の中身を聞いたことがなかった。
博多から船で釜山、そして平壌を通り支那へ。いつも「♪聞くも涙、語るも涙のものがたり〜〜♪ちゃんちゃん♪」と話をそらされるのだが、きょうは支那に派遣されていた軍隊時代の話を聞いた。中学生の頃は剣道をしていたので幹部候補として期待されていたのだが、幹部試験のときに口内炎ができたので落ちてしまいバッチをもらえなかったこと、戦争に疑問がわいて軍隊を脱走して銃口を口の中に入れ足の指にひもを引っ掛けて自殺しようとしたが、死ななかったらしい。代わりに鶏が死んだとか。脱走が見つかり逃げて駆け上った丘で、丘の周辺を仲間の軍隊に取り囲まれて、歩いていた中国人のお母さんと子どもを人質にしようとしたが、同僚が銃をこちらに向けて近づいてきて彼女らを逃がしてしまい、持っていたまんじゅうを同僚に投げて助けてもらおうとしたが、取り囲まれて捕まったこと。172cmの体で41kgにやせ細って体力もなくへろへろと座り込んでしまって捕まったらしい。そして何日も何日も柱につながれたこと。小隊長が話しに来てくれて許してもらったこと。終戦後翌年の4月23日に大阪に帰ってこれたこと、などなど。5年ほど前に東京都立美術館で個展をしていたら、なんとその小隊長が来てくれたらしい。脱走したときのお礼を言うと「そんなことあったかなぁ〜」と言われたとか。
「仏がいるから化けもんもいる、化けもんがいるから仏もいる。なんでも表と裏があるってことや、立体的に生きなさい。はい、ガソリンおかわり!」