エリック・サティの生きてた時代

今年の11月17日のボジョレーヌーボー解禁日は、心斎橋そごう劇場でミュゼットジャズバンドとコンサート。久しぶりのフランスイベントのためいろんな本を読み返して日本と照らし合わせてみると、エリック・サティが生まれたのは1866年で、なんと大政奉還前〜!そんな昔だったっけ。

1881年 ピカソが生まれ
1882年 野口雨情が生まれ
1885年 北原白秋が生まれ
1886年 山田耕筰が生まれ
1887年 中山晋平が生まれ
1888年 サティはジムノペディを作曲
1889年 ジャン・コクトーが生まれ
1892年 西條八十が生まれ
1893年 サティとシュザンヌ・ヴァラドンが恋愛し(シュザンヌ・ヴァラドンの息子ユトリロは当時10歳)
1900年 夏目漱石がイギリス留学
1902年 サティ『Je te veux』作曲
1904年 日露戦争の頃、モンマルトルの「洗濯船」に詩人のマックス・ジャコブヤやピカソが住み
1907年 アポリネールとマリー・ローランサンは恋に落ち
1912年 タイタニック号沈没
1913年 ローランサンと破局した失意のアポリネールは『ミラボー橋』を書き、その頃の日本唱歌は『冬景色』
1914年 第一次世界大戦、『おぼろ月夜』
1917年 サティ、コクトー、ピカソの『パラード』
1918年 『赤い鳥』創刊
1919年 『夕焼小焼』
1920年 サティ「人々が耳を傾けないように」演奏される<家具の音楽>作曲、『十五夜お月さん』
1921年 マン・レイとキキの恋愛
1923年 関東大震災
1924年 サティ、ピカビアの『本日休演』
1925年 サティ没 『雨降りお月さん』


サティが生きていた時代だけの年表を作ってみても、童謡サロンで私がよく歌っている曲と同じ時代。
やっぱり私、この時代が好きなんだろうなぁ〜
それにしてもジムノペディがおよそ120年前の曲とは思えない。
年表作りおもしろいな。次回はサティの没後特集してみよ〜っと。