迎術家

京都の染色家Gさんが、ひょっこり木馬に現れた。
友禅の各分担作業行程と違って最初から最後まで一人で作り上げ、世界中で個展が開かれている染色家。京都のアトリエに何年か前にうかがった時は、あまりの広さに驚いた。一反縦横広げて絵が描けないと作れないらしい。

「和美ちゃん、落書きしたらそれ染めてあげるよ」
「えええー!そんなのいいんですか??」


Gさんのお母さんはもともと京都の方、お父さんは鹿児島から日本画家を志して京都美術大学(現:京都芸大)の日本画に入学。卒業してこれからという時に戦争が始まり、もっと絵を描きたかったにも関わらず、父は士官学校に入学する。故郷の鹿児島は特攻隊の最前基地もあったし、それより薩摩の血だったんだと思う、とGさん。そしてGさんが3才の時に28才で戦死。
お母さんはその後医者と再婚して、家では医者になるよう教育される。絵が描きたいとは新しいお父さんに言えなかったらしい。
医者になると受験もするが、やっぱり絵が描きたいと思い切って告白し、着物の世界に入る。
そこから何がなんでも誰よりも上手くなってやると無我夢中で切り開いてきた方。
年をとってきて、前より父親のことを考えるようになった、と。絵を描きたいのに戦争に志願してしまう父の性分。そういう性分は自分の中にもあるけれど、それよりも言いたい事ややりたい事を押さえ、顔色をうかがいながら新しい父親や異父兄弟と調和をとって育って形成された性格が強いらしい。
「そんな性分やしね、これから自分がやっていくことは【迎術】やと思ってる。」