開拓者たち

画家の高濱浩子ちゃんと神楽の笛奏者の井上くんがブラジルの弓場牧場の弓場かつえさんを木馬に連れてきてくれた。
待ち伏せしていたのは音楽学者、特にブラジルの研究をしていた細川周平さん。およそ15年ぶりの再会だそうだ。ここは100人くらいが一斉に食事をしたりお祈りをささげたりするところだそうで、1人2人まぎれこんでもどうってことないらしく周平さんは何日もいたそうだ。
ブラジルの1930年頃の写真を見せていただいたが開拓者たちの眼はキラキラしてる。農場の中での結婚式の写真など見ると涙がでそうになる。目の前にいるかつえさんもキラキラしてる。あの感情をあけっぴろげに泣いたり笑ったりできる要素は昔の日本人はあったにせよ、日本に住んでる日本人はしてはいけない風潮になってるんではないか、と思った。耐え忍ぶ美も大きく笑って泣いての文化もあったはずだ。いまの日本は忙しすぎてそんなことしてたら時代からおいていかれるのかもしれない。
私の母方のおじいちゃんも開拓者で、ニュージーランドにいたそうだ。その栽培していた植物(うる覚えだがコーヒーなどを入れる袋になってる原料?)を日本に輸入可能にしようと通産相かなんか官庁に1週間以上座り込み続けて輸入が認められたらしい。いまみたいに飛行機もない、新幹線もないなか九州からたぶん中国や台湾や経由してニュージーランドや東京やと飛び回っている。なんと時間をかけていることか。おじいちゃんはブラジルの開拓行こうとは思わなかったのかなぁ、なんでニュージーランドだったんだろう?きっとブラジルもちょっとは考えたことはあるんじゃないかな、ときょうはじめて疑問がわいた。