昔話メモ

奈良での車中、85才の叔母の昔話が面白過ぎたのでメモ。

▪️小学校でいじめられた時、毛糸を取られた。
家にいたアンゴラウサギの毛を毛糸屋さんに持って行って、交換してもらった大事なナイロンの毛糸だった。
(今の時代はアンゴラの方が数段格上!!)

▪️だんだんいじめはエスカレートし、ホオズキ4個差し出してたのが、10個に増えた。
(カツアゲがホオズキって!)

▪️当時の雑誌『少女クラブ』で「いじめられた場合は作戦を立てるべし」と書いてあったので 、神社に呼び出し、神様を背に、天皇陛下の写真を横に、階段下から来るいじめっ子たちに縄を振って戦ったら、勝った。
(この話が一番大爆笑)

▪️父(祖父)が毎晩、楠木正成の戦術を千夜一夜物語のように語ってくれてたので、いろんな戦術を知っていた。

 

【祖父の話のメモ】

▪️中国の大連へ、ゴザで加藤清正の衣装を作って露天の大会で立ち振る舞いをしたら優勝して、賞金をもらった。その賞金を日本にいる父に送ったら、そのお金で大連へ来てくれた。

▪️その後、母(祖母)と恋愛結婚。

▪️ニュージーランドへ渡り、マオランの栽培を習得。日本へ帰って栽培?輸入?許可を取ろうと東京の国会?官庁?か座り込み。

▪️九州から腹を切る覚悟で東京へ行くのがわかった母(祖母)は、子どもと一緒なら死なないだろうとまだ小学校に上がる前の叔母を同行させた。
父(祖父)は途中の神戸の親戚に子どもを預けて一人で行くつもりだったが、その親戚は神戸駅での待ち合わせに来なかった。母(祖母)と神戸の親戚が企んでそうさせていた。

▪️父(祖父)は東京までの列車の中で一言も口をきいてくれなかった。唯一口を開けたのが「あつこ、あれが富士山だ」

▪️東京では毎日一人で遊んでいた。ある日、父の兄弟が来てかわいそうに、と寝てるときに頭を撫でてくれた。(本当は起きてたけど寝てるふりをしてた。)その後、叔母は神戸の親戚のところで1ヶ月くらいいたので、毎日海で遊んでいた。

▪️北九州・曽根では津波で家が流された。
母(祖母)が津波が来るからと、近くの山へみんなを連れて避難。
その後、豊津で開拓、農園。

 

【口癖】
馬鹿と言われたらありがとうと思え
じょうりゅうざ(常留座?日常という意味?)が修行

わからないことも多いけど、従姉と大爆笑でした。